過去の受賞作品

第12回短編映画コンクール(2013)


グランプリ
『もしもし、詐欺ですけど』後藤庸介(神奈川県) / 14'58"
【作品解説】
長野の実家に帰る途中に追突事故を起こしてしまったリョータはヤクザに示談金を要求される。連れの女子を人質にとられ、仕方なく実家の母に電話をして200万円の用意を頼むリョータだが、その状況や内容、語り口の全てが「オレオレ詐欺」と全く一緒になってしまう。日頃から疑い深く、オレオレ詐欺を警戒していた母・その子は息子ではないと判断し警察を呼ぶ。「オレ」は一体誰なのか?警察が見守る中、壮絶な母子対決が始まる。「あなたがあなたである証拠は?」
【審査委員長 品評】
誰もが思いつきそうなネタ、だが、それを一篇の映画にするのはそう容易(たやす)いことではない。なぜなら、先を越された者たちのあら捜しをも平気で乗り越えるだけの度胸と愛嬌が必要だからだ。そして、確かに、作者はこの二つを持ち合わせている。乱暴なストーリーにも臆することなく、「おれ、おれ」という状況さえ作ることが出来れば、オレオレ詐欺防止のためのマニュアルを逆手にとることで、必ず笑劇は保証されるという思い込み。このいわば度胸がこの映画の推進力にはなっているものの、もう一方の愛嬌がなければ、思いつきをただやっています、の凡庸なものに止まっただろう。愛嬌は、様々なところに鏤(ちりば)められて発揮されている。まず、主人公の特に女関係に見られる軽薄さ、それが相応に裏切られていて、実家のおふくろさんが東京へ電話すると、留守中に引っ張り込まれた男が主人公に成りすます挿話もおふくろさんを混乱させるのに生かされている。また、愛嬌そのものとして、おふくろさんと呼びつけられたお巡りさんがいる。セリフの中の工夫として、おふくろさんの豹柄のTバック。これこそ、主人公が自分のアイデンティティに賭けて言ったセリフなのに、図星を指されたおふくろさんは反射的に電話を切ってしまう。それなりに、作者としては秘術を尽くした思いであろう。ここまで来てしまうと、追突された車のやくざを名乗る男と主人公の車に同乗してきた女が示し合わせた当り屋という落ちはほとんど効力を発揮しなかった。皆から「お前は誰だ」と改めて問い詰められる最後の男の戸惑う顔、そこに現代人のアイデンティティとは?とでも問いたそうな作者の真面目な顔が覗いたような気がしたが、どうせなら「おれはおれだ!」とでも、開き直ってほしかった。
準グランプリ
『管材屋の唄』多胡由章(東京都) / 20'00"
【作品解説】
今津昇は41歳の大手商社サラリーマン。実家は昔ながらの管材屋を営んでいた(管材とは水や空気などの配管材料のこと)。そんなある日、昇の父親、浩平は67歳で死んだ。「ピンピン生きてコロリと死ぬ」の信条どおり、最後まで店に出て職人相手に商売をしていた。親孝行のひとつもしたことのなかった昇は、妻と相談し店を閉めて母親と同居を決意する。そのことを母親に打ち明けるが拒否される。就職と同時に家を出て、仕事に追われながらも、ようやく出世の道を掴んだ昇は、家のことも店のこともよくわからない自分にイライラしていた。そんな通夜の前日の晩、祭壇の前で仕事をしていた昇の前に、アルバムでしか見たことのない30代の頃の父親が現れた…。
制作に際し、何件も管材屋さんにお伺いして、そこで働く人達の本物の人生に触れ、この業種だけではない、現在の市井で暮らす日本の人々の姿を描くことを目標にしました。
【審査委員長 品評】
短編ながら一本の劇映画を撮る思いで撮りたい、その思いが如実に伝わってくる。最後に、主題歌が流れて思わず笑ってしまったが、その真剣さは全編貫かれていたと思う。亡くなったばかりの父親の幻影(亡霊と言ってもいい)に導かれて回想シーンに入るところなど新味もある。俳優諸氏、演出を中心にした技術陣、共に丁寧な仕事ぶり。ただ、話が余りに愚直なくらい親から息子への継承物語に納まっている。正直に言うと、決して不快ではないが、少々作りの古さに辟易する。ラストの歌がその古さを助長しているとも言えるが、その心意気やよしとしよう。
入賞
『京太の放課後』大川五月(東京都) / 20'00"
【作品解説】
頭巾姿の少年と外国人教師の凸凹コンビが奏でるハーモニーで涙と笑いを誘うハートフルコメディ。10歳の少年、京太はシングルマザーの絹子とふたり暮らし。彼には手放せない2つのアイテムがある。 使い古した英単語帳と防災ずきん。どこへ行くにも防災ずきんを被り、気になった言葉があればその英語を調べ始める京太はちょっと変わった男の子。ある日、京太の学校に、震災以来本国イギリスに帰ってしまっていた英語教師ティムが戻ってくる。なぜ彼が再び自分の街に帰って来たのか不思議でしょうがない京太。偶然、街で見かけたティムと片言の英語とジェスチャーでちゃんと会話を交わすようになる。気さくなティムに連れられて散歩を楽しむ京太。なんと彼らが最後に行き着いたお店は絹子が働く店だった。勘違いから京太はふたりのキューピットを買って出るのだが…。
【審査委員長 品評】
英語題名が、Little Kyota Neon Hood とあるように、主人公京太の被る防災ずきんがこの映画のキー・ワードだ。京太は教室でも防災ずきんを脱がない。他の生徒達は一人として頭巾など被っていないが、すでに一定の了解があるのか、誰も京太を咎めない。担任の先生もだ。そして、英語の時間、一年ぶりに母国スコットランドから戻ってきた外人教師が紹介される。彼の挨拶もそこそこ、京太が質問する。「先生は逃げられたのに、どうして戻ってきたの?」と。この質問は先生に訳して貰えない。しかし、ここで観客は気づかざるを得ない。一年前とはあの大震災のあった日。京太のずきんとはトラウマそのものだと。もっと、作者の意を汲んで言えば、人々の忘れかけた警戒警報のシグナルだと。作者は場所を特定しないし、一年前の痕跡を写そうとしない(僅かに、京太の家の修復の痕に示されるのみ)。だから、かえって、この頭巾を被った少年は観念的に設(しつら)えられているとも言えるだろう。大震災後、そのものずばりの映画ばかりだったから、変則を狙ったのだろう。それは、作者をして、京太がこの場所から逃げたがっているという設定に行き着かせたのだが、私には苦肉の策に見える。三、四年生の男の子に、それは相応しくない。だが、そのことも作者は知っていて、カードに書きつけられた男の子の不安という形に昇華させて母親に共有させ(「これからは私があなたの書きつけるノートになってあげる」)、また外人先生には逃げ出したことへの罪障感をもたらすという形でリアリティの確保に漕ぎつけた。それを諒とするかどうかで、作品評価は分かれるだろう。
『のぶ子の日記』井上博貴(福岡県) / 20'00"
【作品解説】
母・のぶ子は恋愛をすると日記をつける癖がある。娘・詩織は、いつも恋愛がうまくいかない母を心配し、いつからかその日記を読むようになる。そしてまた母が新しい日記をつけはじめた。いつものように詩織はこっそりと日記を読み始めるのだが驚きの事実が次々と判明していく。今度の彼氏はなんと17歳年下!そしてちょっぴりオタク!?母の無理めな恋愛を巡り、親子の絆をコミカルに描いたコメディドラマ。
【審査委員長 品評】
通俗を絵に描いたような作品だ。母と娘、そして同居する母の妹、その生臭い関係をカリカチュアライズして描いていて、演じる方も負けずに泥臭くやっているので、品がいい作品とはとても言えない。だが、通俗を引き受けることを選んだ作者の意気やよし、ストーリーの作りと運び双方においてもそれなりの工夫がある。今母が付き合っているのは十七歳も年下の二十三歳、模型作りに夢中な軽い青年。母の日記を盗み読みして、生理がない!とあるのに驚いた娘は、叔母に話すが、この叔母というのが別れたボーイフレンドが結婚したというニュースを聞いて以来酒浸り、しかも酔っぱらうとすぐに何でも口に出してしまうから、家に遊びに来た模型男に絡みまくった挙句、二人の前で妊娠の話をしてしまう。その話を聞いて模型男は逃げ、娘が追いかけてその無責任な正体を暴く。母は日記のことで娘を詰るが、模型男の不実を知って酔っぱらうしかない。叔母から渡された試験具を母の小水に当てて妊娠が本物かどうか調べるところなど、ドタバタの味も効いている。結末は、母の代わりに若い女を引っ張り込んだと勘違いし模型男のマンションに押し入った娘の眼の前に現れたのは、やはり母と同じ年頃のおばさん、模型男は年増が趣味であったという落ちで、母親も諦めがつくというもの。通して見れば、通俗の通俗たる親子の人情物である。
入選
『ある夜』深澤尚徳(神奈川県) / 11'05"
【作品解説】
60代の男性「高橋博司」は、5年前に妻を亡くして以来、1人暮らしを続けている。博司は、妻の死後、自分の息子ともうまく付き合うことができず、1人きりの生活を送っている。そんなある晩、そんな博司の生活に変化が訪れる。いつもと同じように博司が1人で晩ごはんを食べていると、突然、博司の影が不自然に動き始めたのだった…。
影の動きを通して、60代の男性が自分の人生を振り返っていくという内容になっています。
【審査委員長 品評】
妻を亡くして三年、一人暮らしの中年男には、心配して同居を勧める息子の電話も時に煩わしく、意思の疎通もままならない。そんな男の頑なになりがちな心を解きほぐすように、一夜(ひとよ)亡き妻が亡霊ならぬシルエットで登場し、二人の間に出来た息子のシルエット共々、その成長と歳月の日々を男の前に披露する。まるで、ロンドのように展開するシルエット劇がこの映画のミソだ。技術的にも破綻なく美しくできている。そして、翌朝、彼女のシルエットは、テーブルの上の携帯をも動かしてハッピーエンドにつなぐ。ただ、どうしても、作品の淡白さは否めない。
『愚怒猛仁愚、ヤンキー』杉山りょう(東京都) / 14'00"
【作品解説】
同作は、ニートでヤンキーの家での1コマを描いた作品です。ヤンキー(不良)と言うと、アウトローで「凶暴」「暴力」「威圧的」と言うネガティブなイメージが強いですが、家庭内での肩身の狭さや意外とチャーミングな部分があったりと、そういったところを表現したいと思い、制作しました。題名の通り、愚怒猛仁愚(グッドモーニング)と言う言葉が作品のキーワードになります。 ストーリーは、一人の少女との交流で進んでいきます。「おはよう」と言う少女の挨拶でヤンキーの朝は始まります。素直な少女との交流でヤンキーは、どうなってしまうんでしょうか?作品を、楽しんで頂ければ制作一同、幸いで御座います。
【審査委員長 品評】
極めて単純明快、見るからにヤンキーと呼ぶしかないような若者と病気で入院生活を送る少女とのほとんど言葉を交わさない交流物語である。雪国の話だ。病院勤めの妹からは、洗面所(化粧鏡の前)で鉢合わせする度に、働け!と檄を飛ばされ、ブス!としか返せないヤスオだが、ある朝、ちょうど二階の正面に向き合う病院の窓越しに、画用紙に「おはよう」と書いて手を振る少女の姿があった。そして、何日かが過ぎたある日のこと、屋外でひとり黙々と小さな雪だるまを作っている少女に出会う。雪だるまって、もっと大きくて目もあり鼻もあるんだぞ、と語りかけた時、少女は病院に呼び返されてしまう。その夜から深夜にかけて、一人黙々と表で作業をするヤスオの姿があった。そして、朝のいつもの少女からの挨拶に、ヤスオは階下を指さす。そこには、大きな雪だるまが「おはよう」と立っていた。もともと、ヤスオは目覚ましで起きる。そして、元来子供好きなのか、就職情報の保育園欄にもしるしをしている。ちょっとしたいい話に終わらせないで、形だけでないヤンキーの生きにくさ、もがき、怒り、の正体を探っていく中で、少女との話が組み立てられないか、あるいは、少女の物語も、ただ病気の少女の域をでることにしたらどうだろう。作者にはもっと荒々しい波の逆巻く外洋を目指してほしい。
『心臓の弱い男』橘 剛史(福岡県) / 19'58"
【作品解説】
ドキドキすると死んでしまう。そんな心臓の病気を持つ青年が、年頃の女性がいない田舎で、祖母と共にひっそりと暮らしている。ある日彼は、村に突然やって来たかわいい女の子に惹かれ、生活が一変してしまう。今までドキドキすることを避けてきた彼の行く末は・・・。ドキドキしたり、緊張したりすることは、とても不安で避けたいものです。だけど、その先には自分を変えられる何かが待っているかもしれない。この作品では、ドキドキすることを前向きに考えてほしいという想いが込められています。
【審査委員長 品評】
心臓が本当に弱いのか、一目惚れした女の子にだけめっぽう弱くなるのか、その辺をうまく使い分けて恋愛喜劇を作る手もあったと思うが、本作は本当に心臓が悪い青年が、一目惚れした女の子に出会うと心拍が跳ね上がって死に至りかねない、という真面目路線を選んだ。だから、その危ない対象である女子生徒から逃がすように、母親が年頃の女の子など一人もいないような過疎の村の実家に青年を連れて行き、何年かが過ぎるうち心臓の方も改善に向かったというわけだが、突如診てもらっている診療所に看護師見習いとして可愛い子ちゃんが入ってきてひと騒動となるのは、余りに単純な帰結。青年が全くそそられない先輩看護師の猛烈アタックだけでは話が膨らまない。
『1980年生まれのサンタクロース』池田直矢(香川県) / 18'40"
【作品解説】
「あの頃、サンタクロースなんて信じていたのだろうか・・」幼い頃の記憶と今抱く家族への想いを、不器用だが何処か暖かい・・そんな主人公 萩原哲雄 役を日本映画で活躍中の和田聰宏が演じる。家族だからこそ多くの言葉はなくとも気持ちが通じるはず・・そんな哲雄にクリスマスの夜、冷たくも優しいプレゼントが降り注ぐ。
【審査委員長 品評】
美しい映像に乗せてやさしい青年の心根を運ぶ。その時期に見たら、まるでクリスマスプレゼントのような作品とも言えるだろう。といえば、少々褒め過ぎだ。ストーリーは余りに単純だし、案の定観客が予想したように恋人もいる。しかし、あの時サンタクロースがこの世にいないことを知った、という主人公の独白は頷ける。現在宇宙研究所で観測を続けている青年が少年期に特殊な望遠鏡をサンタクロースにお願いしたのだが、その望遠鏡を探しあぐねた父親がついにサンタの覆面を脱いで、望遠鏡が見つからないと、電話で伝えてきたという話だ。やがては手に入ったのだろうその望遠鏡が父の死後出てくる。妹から受け取ったそれを手に同業の恋人と屋上へ上がるのだが、その先の会話はない。下手な会話がないから、映画が余韻を残すこともある。だが、極め付きのセリフを見つけることで、屋上の夜景あるいは暁のシーンが忘れ難いものになることもあり得るのだ。
『特別な二人の関係』西岡眞博(大阪府) / 6'15"
【作品解説】
おとなしそうな少年と、少し身体の不自由な車椅子の老人。このどこにでもいそうな二人は、実は特別な関係で結ばれている。常に老人の側に居てけなげな表情を見せる少年と、その少年を決して子供扱いせずパートナーとして接する老人。この二人にはどのような特別な関係があるのか。特別な関係にある二人が過ごす、特別な日々を描いたショートストーリーです。
【審査委員長 品評】
映画には最初の発想として思いつきは大事だ。だが、それが、それ自身成長していく思いつきと一所で止まってしまうものがあることを意識すべきだ。今回の場合も、もう一度出発に当って、犬と少年との置き換えがはたして何をもたらすのか熟慮すべきではなかったか。もちろん、観客は最後の種明かしまでは気づかないだろう。だが、種明かしがされたとき、少年にも犬にも双方に失礼ではないかと、そんな気がしたのだが。
『夢見ぬ少年』山羊博之(神奈川県) / 19'59"
【作品解説】
一度も夢を見たことがない少年、尚人。「見たい夢の絵を描いて、枕の下に入れて寝る」本に載っていた方法を信じて、尚人は毎日絵を書き続ける・・・。夢に夢見る少年のハッピーキッズムービーです。
【審査委員長 品評】
夢を見ることは言わば人間の特権である。だが、夢を一度も見たことがないと主人公の少年がぼやくとき、夢なんて大したもんじゃないぞ、ドンパチマンになったところで目が覚めればそれで終わりさ、とその兄貴が冷静に言うように、実際には悪夢だってある。でも、少年は、夢見る方法と信じて枕の下に自分の描いた絵を置いて、夢見ることを夢見る。父を亡くしている少年に、亡き父の夢を見させてやろうと、兄貴が母親に提案する。父とそっくりのおじさんを担ぎ出して、それを夢だったことにすれば、弟に夢を叶えさせてやることが出来ると。弟は僕と違って父さんに何かして貰ったという記憶がないのが夢を見ることが出来ない原因かもしれないからと。母親は兄貴の弟を思う心に感動するが、嘘だけはやめようという。しかし、枕の下に父親の絵を入れておいた甲斐あって、遂に少年は初めて父親と遊ぶ夢を見る。喜び勇んで、リビングへ駆け込むと、そこには兄貴が提案した仕掛けの父がいる。夢で父と出会ったばかりの少年にはピンとこないという皮肉な結末が用意されていた。だが、この最後の構想が全く生きなかった。作者は少年が夢を遂に実現したという単純なハッピーエンドでは終わらせたくなかったのだろう。だとすれば、他の作劇によって、初めて見る夢を単なる淡い父親との触れ合い程度のものでなく、もっと圧倒的なものにする方を選ぶべきではなかったろうか。例えば、やさしくしてくれた友達の父親が夢に現れてまるで少年の父親のように振る舞い少年もまたそれに従うとき、突如本物の父親が写真立ての中からドンパチマンの如く飛び出してきて、少年をその手に奪い返す、その胸に抱かれて少年はその鼓動を通じて本物の父親を感じる、といったような。


全国より108作品の応募がありました
審査委員長
伊藤俊也(映画監督)
特別審査委員
工藤雅典(映画監督)
椿原久平(映画監督)
冨永憲治(映画監督)
   


実行委員会事務局:〒391-8501 長野県茅野市塚原2-6-1 茅野市役所 観光まちづくり推進課内 TEL.0266-72-2101 FAX.0266-72-5833