特別審査員の工藤監督、椿原監督、冨永監督、鈴木監督が独自の目線で気になった作品をひとつずつ選んでいます。
このコーナーは2次審査に上がった20作品を対象としています。

特別審査員 工藤雅典
『ROUTINE』 宮原拓也監督
言葉は何も発せず、ひたすら、ジャグリングを続ける主人公の青年。その手の上で、回転し、動き続けるボールや、ペットボトル、そして空き缶。それを見ているだけでも楽しい。映画の原点は、“動く画像”を見る楽しみであったと改めて思う。主人公は、その表情や佇まいから、どこか社会に上手く適応できない、人格的に何かが大きく欠けている人物に見える。そして、何のためにジャグリングを続けるのか分からない。ただ、それが、ただ好きだから?しかし、その過剰な継続は周りには迷惑でしかない。夜のベッドの中でもジャグリングを続け、とうとう恋人にも家を追い出されてしまう。
あれ?こういう状況や、こんな人物、どこかで見た事が無いだろうか?芝居でも、音楽でも、映画作りでも、好きな事をひたすら続け、自分の人生は棒に振り、家族を悲しませ、周囲に迷惑をかけている人たち。世の中に数多いる、結果を出せずに足掻いているパフォーマーや表現者たち等々。そんな人たちと、この物語の主人公は相通じるのではないだろうか?未だに低予算映画を作り続けている私もその一人。しかし、どんなに周囲に迷惑でも、主人公はジャグリングを続けるしかない。私にとっての映画がそうであるように、ジャグリングこそが彼のレゾンデートル(存在意義)だから。
誰にも理解されなかった主人公のジャグリングも、公園で掃除を長年続けていた孤独な女性の心を、和ませ、動かす。現実は残酷で、多くのパフォーマーや表現者の努力が報われる事も無く、そのまま終わっていくのかも知れない。しかし、それでも、諦めず続けていれば、いつか人の心に触れ、動かすような、何かが起こると思いたい。そんな事を、この作品を見て考えた。宮原監督は、どんな思いでこの作品を撮ったのだろうか?

特別審査員 椿原久平
『近くて、でも遠い』 伊藤修平監督
親元を離れ、一人暮らしに慣れ日々に追われると親からの連絡が疎ましく思う そうした気持ちを抱いたことのある親不孝者の私は、 過去、同じテーマで企画制作したことがあってこの作品を興味深く観ました 昼夜を問わず、丁寧に撮影を重ね、作品を完成させたことに敬意を称します そして、誰とも知れない私に審判されること前提で、この映画祭に参加してくれて、 ありがとうございます その覚悟に対し、寸評します(以下、未選出の理由と期待の言葉を送ります) 伊藤監督、これは実体験をもとに制作したのですか? タイトルは、「近くて、でも遠い(息子)」?それとも「近くて、でも遠い(母)」? それとも物理的な距離? 撮影場所は、東京の武蔵村山市と品川区のようですね エンドロール、観終わった後に紹介文を読みました いずれにしても、もう少しストーリーとキャラクターを掘り下げて欲しかったです 会社設立前後の制作とお察ししますが、その熱を感じられませんでした ストーリーは、ダメ社員、部屋の整頓が苦手な主人公が、 心配性の母親の優しさに絆され、実家に帰巣し、その母は受け入れた 社会の揉まれていても、肉親の母は無償の愛で見守っている そのことに主人公は気付き、感謝する が、テーマなのでしょうけれど、肝心の主人公に再生(活気、活力)を感じない 私には、社会に疲弊して逃げ帰り、母が受け入れたという印象しかありません しかもエンディングが、12分の本編に対して1分30秒は長い だったら、そのエンディングに、帰巣後の主人公が実家に居を戻し、仕事も順調! なんて点描がスタッフロールとともにあってもよかった気がします それこそ、貴君の会社スタートと未来も暗示できたかもしれない 誕生日を赤飯で毎年祝う母子なのであろうから、その赤飯の起源も重ねて欲しい (ご存じだったら恐縮ですが、赤飯を食べることは朱色に重ね邪気払いの意味です)
親からの連絡が疎ましく思うのは、一人暮らしを始める動機にもよりますが、 体験上、喜怒哀楽を一人謳歌中、心配する親への甘え(照れくささ、気恥ずかしさ) が起因していると思っています 貴君はいかがですか? 主人公に対しては、そうした表現や葛藤がもっとあってもよかった気がします 貴君の中には、あったと思っても鑑賞者が感じないと、表現不足です ともあれ、映画は創った人が何といっても偉いのです そして、広く披露すればするほど、晒され賛否されるのです 貴君の作品に対して こういうことを言う奴も居るぐらいに思いとどめてくれたら幸いです

特別審査員 冨永憲治
『その男ら、職業オネェ!』 カツヲ監督
軽快にスチール撮影現場の準備が進み、登場するのはノリノリのドラッグ・クイーン。ヨシコ・ノリコの二人は今をときめく人気者らしい。撮影後は息もつかせず雑誌のインタビュー、そこへ新人のピー・ポコのコンビが現れ自己紹介。まさにサブカルチャーがメインカルチャーに取って代わった今様を語っている。
つかの間の休息、控え室の会話がこの作品の肝となるわけだが・・・どうもこの二人バンドでは食っていけず、派手な女装とアクションで脚光を浴びたようだ。妹の大学卒業まではという枷もあってこのキャラをやめられないドラッグ・キングだった。
なるほど、と手放しでは楽しめなかった。私には、ヨシコ・ノリコの魅力がイマイチ感じられなかった。ファッションリーダーなのか、言動がエキサイティングなのか、ステレオタイプのキャラだけではメインカルチャーを凌駕できないのでは?今、活躍している方々は、才気魅力にあふれている。ヨシコ・ノリコを見ていると、一時代前の男が演じる「おねぇ」達を見ている気がしてならないのは私だけだろうか?
資料を見ると最近参加が増えた、48時間映画コンペの作品。シナリオ作成から完成までを48時間でこなす監督の力量は評価に値するが、他のコンペに出す場合にはもう一度作品を見直してはどうだろうか。映像制作には手慣れた手腕を感じる監督だけに残念な感じがする。一度仕上げた作品を手直しする困難は十分に分かるが、シーンを撮り足したり、別のエンディングが出現しても良いのではないかなと思う。48時間という縛りはないのだから。

特別審査員 鈴木元
『君の心が聴けるウサギの耳がほしい。』 市川良也監督
外国人と落ちこぼれ日本人、廃止になった定時制からの移籍組が混在する近未来の高校。その文化祭をめぐるあれこれが17分の中で描かれる。
と書いてもこの映画の本当の姿は何も見えてきませんね。作者は近未来にも佃煮状の高校にも興味はない。もっと言えばドラマにも興味がないかもしれない。17分小ネタの連続、笑えるものもあれば引いてしまうネタもある。作者の頭の中は、どうしたらオカしがってくれるか、そこにしかないように見える。
そこが潔いと僕は思いました。
昨年のピックアップでも書いたのですが、最近のエントリー作品は妙にきれいにまとまったものが多いと思います。感動して下さい、泣いて下さい、これいい話でしょう、という映画が多すぎませんか。そう考えると『君の心が聴けるーー』は、そういう下心が感じられず気持ちよく見ていられる。笑ってくださいという下心ではなく、作り手が楽しんでいるように僕には思えます。そこが自主映画のいいところではないですか。今年もプロ、あるいはセミプロの人たちの作品が多く、技術的にも高いレベルのものがそこそこあります。でも、何だか面白くないなあと僕は感じてしまいます。
資料によると、市川良也監督は三重県在住の会社員で50代半ばの監督だそうです。きっと身の回りにたくさんの外国人が働いていて、彼らが映画作りを面白がってくれたのでこの企画が成立したのだと思います。来日1年未満の、日本語もあまり話せない外国人女子高生と日本人の高校生の接近遭遇を描けば、正攻法の青春映画にもなる題材なのに、あえてそちらに行かない市川監督の志向が僕は好きです。
とここまで勝手に書いて来ましたが、市川監督がアマチュアであるかどうかは分かりません。生粋のプロフェッショナルかも。たしかに、冒頭のシーンで子供がバニーのチラシを拾ってカメラが回り込む手持ちのショットを見ると、只者ではないかもしれません。もしそうであったなら、それは監督の術中にまんまとハマってしまったのだと笑ってお許しください。