過去の受賞作品

第20回短編映画コンクール(2021)


本年度の短編映画コンクールは、伸和コントロールズ株式会社様からの企業版ふるさと納税を活用し、実施しました。

グランプリ
該当なし
準グランプリ
『干し柿』 四季 涼
【審査委員長 品評】
庭木の整理を頼んだ中年の奥さんとその仕事を引き受けた若い庭師の話。リボンを付けた木を残し、後はバッサリ切ってくださいねという話だった。大方仕事が片付いて一服という段になって、奥さんは冷やした干し柿で若い庭師を接待する。話は弾んで、残した木はすべて夫が植えたもの、特に柿の木には思い出深い因縁のある事、そして、柿の実が生ったその年、柿を食べることもなく夫は既に亡くなっていたことが知らされた。旦那が亡くなっていたと聞いて驚く若い庭師。今更のように、夫の形見である手植えの木の奥さんにとっての大事さを痛感する。この時、二人の間にまるで青天の霹靂の如く、リボンを付けた木が残されるべき木であったのか、リボンを付けなかった木が残されるべき木であったのか、分からなくなる恐慌が襲った。こういう勘違い、あるいは錯覚は、我々の日常でもよく起ることだ。この一瞬の描写がこの作品の勘所であった。だが、リボンを結んだ木は残してくれと云われた直後に庭師が当のリボンを結んだ木を伐り始めていることを観客は知っている。だから、後で大変なことになると予想もしている。当然、ひと騒動起きることもすでに予期されている。結果は、奥さんが間違った指示を出していて、事なきを得た、つまりは大事な木が残されていてめでたしめでたしとなった。面白いアイデアであっただけに、その一瞬に賭けた描写の効果が半減してしまったのが惜しまれる。それは、夫の死が逸早く観客には察知できていて、庭師のようには驚かず、奥さんの嘆きが少々しらけるのに似ている。
入賞
『緑の雪』 古川原壮志
【審査委員長 品評】
独居老人の現実と夢を描いて、その孤独の極みを描こうとする意欲作である事は分かる。だが、現実の方の描写に、いくつかの疑問点が生じた。おむつを(と云っても老人パンツだが)取り換えて貰っているところはすでに寝たきり病人だが、一人で何とか酒を探し出してグラスに注ぐところや机の前に座ってそれで一杯やっているところは、ましてや後に現われるヘルパーが、ご飯はどうしたの? しっかり食べなきゃダメじゃないの!と云っているところを見ると、寝たきりであるわけはない。だとすれば、老人の最期の矜持としても、おばさんではあるにせよ女性のヘルパーに下の世話をさせる気になる筈はないと云ってよかろう。そうした細部の描写を大事にしてこそ、森の小鳥たちの囀りに誘われて、先立った妻との思い出の森の散策とかけがえのない妻の掌への愛撫が残された男の悲痛な呻きともなって奔出するラストをより説得力あるものにするのではないか。
『月と幽体』 横田 新
【審査委員長 品評】
素直な造りのアニメーション。主人公の受験を控える女子中学三年生と夜の町で出会う同学年の男子。幽体離脱したかのように、眠っている自分の身体と別れて夜の世界を彷徨うヒロインは、同じ境遇にあるように見えるその男子に出会い、幽体離脱から解放されるには、飛行場の中にあるお宮さんにお参りすることだと教えられ、一緒に行動を共にするのだが、お参りしても効き目がないことで少年を問い詰めると、実は自分は君と違って死んだばかりの幽霊だ、今から飛行機のように空高く舞い上がって、君とはお別れしなくちゃならないんだと告白される。まだ、中三で旅立つ男の子を見て、生かされている自分の進路を自覚したヒロインはしかと寝床の中で目を覚ます。優しい味わいに相応しい二人のイメージといい、画づくりも淡白なのがかえって生かされている。
一般審査員賞
『誰も言わない/Nobody says』 霞 翔太
 
入選
『君の心が聴けるウサギの耳がほしい。』 市川良也
【審査委員長 品評】
近未来だの、国際性豊かだの、落ちこぼれ救済の高校だのと云っているが、登場人物を数えてみれば、数人。学園祭だ、その係だと云っても、せいぜいバニーガールを思いつくと云ったレベル。その語り手である主人公がちょっと気になる東南アジア系同級生への想いをバニーガールの耳に引っかけてタイトルにしたというだけだは、小噺の落ちにもならないではないか。
『消しかすの花』 小池 匠
【審査委員長 品評】
小学四年生の一クラス、窓際の一番後ろの席が主人公である男の子の席だ。彼を含む数人の悪ガキが、と云いたいところだが、彼を含めそれ程のタマはいないのだが、彼らには今消しゴムの消しかすを集めて、回ってくる教師の後ろ姿に掛けたり、前の座席の女の子に掛けるいたずらが流行っている。それを受持ちの若い男性教師が気づかぬわけもなく、主人公はひとり咎められて、もう四年生なんだから、幼稚ないたずらはやめろと叱責されたばかりか、共犯者の名前を白状させられる。ここから、告げ口された同級生たちの時には密やかで時には露骨な復讐が始まることになる。と云って、大量の消しかすが机の中や靴箱にぶちまけられていたり、せいぜいがドッジボールで挟み撃ちにあう程度のもの。そこに、現われる救い主は、以前から好意を隠そうとしなかった前の席の女の子。主人公が以前から目を止め、仲間から女の子みたいと冷やかされていた一輪の野の花、皆からいじめられ、悔し紛れに踏んづけたのを、彼女はいつの間にか救い取って教室の鉢植えに活けてくれていた。そればかりではない、以前から男の子たちが主人公の机の上にばらまいていく消しかすを集めて、いろいろな形にしてくれていた。それに応えるように、主人公が今度は消しかすで花を作って彼女にお返しをしたというストーリー。作者に疑似体験があったのかも知れないが、どうにもオトナが都合よく描いた‘コドモごころ’に見えてしまうのだ。
『14分の2の私の大切な思い出』 はちまるもん
【審査委員長 品評】
愛犬物語の主客を転倒して、生涯を二人の女性の飼い主に愛された犬の立場から、その語り(字幕)によって綴られる物語である。微笑ましい話ではあるが、何の変哲もない憾みは残る。その語り口に、パラパラ漫画の手法は相応しく、字幕もしっかり読める。
『その男ら、職業オネェ!』 カツヲ
【審査委員長 品評】
職場である役割を一生懸命演じていなければならない者は、束の間の休憩にも、その仮面を取り外したいものだ。その典型としてここに選ばれたのが、二人組の職業オネェだ。演じると云って、自分たちとは逆の性を演じるのだから、これ程劇的なものはないはずだ。だが、そこで話されることといったら。こんな仕事に見切りをつけて(とは云わずとも)、音楽≂バンドか何かだろう、に戻っても金にならないし、一人は大学生の妹をかかえて、卒業までにはまだ二年はかかるという愚痴話。これはこれで悪くはないのだが、一編の作品に仕上げるには、何らかの逆転、飛躍が欲しいところだ。
『人の愛を喰らって、その屍を生きてみろ』 加賀成一
【審査委員長 品評】
お手軽な映画作りを思いついたものだ。階段席を使って、そこで二、三人で演じさせるコントを展開しそれを丸ごとカメラに収めれば、一編の映画になる! お手軽な、と最初に云ってしまったが、面白ければ、何の問題もない。ましてや、この大仰なタイトルに太刀打ち出来るものであれば。だが、いかんせん、コントは二つに分断され、双方ともにさして面白くもないものになってしまった。いや、最初から、二つの挿話が考えられていたのだろう。つまりは、二組のカップル(と呼べるとして)が出来上がるのを見す見す手を拱くしかなかった主役の女に、このタイトルを云わせることが眼目であったのだから。だが、後の番があるために、本当は引き留めるべき友人を見す見す行かせてしまう中途半端さといい、余りにもわざとらしい設定の後半では、主役のキャラクターだけがひとり相撲をしてしまった。
『吉川の通夜』 草苅 勲
【審査委員長 品評】
親友、それも中年になりかかる身としては、共に人生のギアを入れ替えて相進もうと思っていた矢先の相棒の死は、何とも曰く言い難く辛い。大体が、儀式というものは、個人的な感情とはそぐわないもの。ましてや、コロナ禍のもとでの、オンライン葬式。この場に及んでも,親戚の叔父さんの挨拶というのは余計しらけるばかりだし、益々受け止められない主人公というわけだ。そのやるせなさを描くには、オンライン通夜が使えると作者は思ったのだろう。だが、これだけでやるせなさを描いても、もう一つ、物足りなさを作者は感じたのであろう。その挙句が、最後に用意してあった、喪主から送られてきた清めの塩を主人公のアタマに振りかけさせるというラストショットに通じてしまった、と云うべきだろう。
『ROUTINE』 宮原拓也
【審査委員長 品評】
いま一つピンとこない作品だ。昔風に云えば、お手玉の様々なヴァリエーションを得意とし、四六時中これをやっているあまり、同棲していた恋人にも追い出された青年が公営公園の清掃係になった。彼は、この仕事をもう二十年もやっているおばさんの下で働くことになる。素直におばさんの叱責を受けながら務めてはいるものの、時々いつもの癖が出てあらゆる手近な道具やら集めた廃品の中からお手玉代わりを選んで芸当をやってしまう。初老のおばさんは痛めている足を引き摺って歩いていて、上司の職員の話では夫子供に逃げられた偏屈者ということになっているが、何故かこの青年の得意芸が気に入ったと見える。時には真似をしてみたりもする。予算の切りつめで、二人雇う余裕はなくなったと職員から云われたおばさんは、職員の予想を裏切って青年を辞めさせる代わりに、自分が辞表を出す。青年は、おばさんの思惑も知らぬげに、相変わらず仕事をしながらルーティンを繰り返している。これでも世の中通っちゃうという小噺感覚か。
審査員ピックアップ
工藤雅典監督・・・『ROUTINE』 宮原拓也
【品評】
言葉は何も発せず、ひたすら、ジャグリングを続ける主人公の青年。その手の上で、回転し、動き続けるボールや、ペットボトル、そして空き缶。それを見ているだけでも楽しい。映画の原点は“動く画像”を見る楽しみであったと改めて思う。主人公は、その表情や佇まいから、どこか社会に上手く適応できない、人格的に何かが大きく欠けている人物に見える。そして、何のためにジャグリングを続けるのか分からない。ただ、それが、ただ好きだから?しかし、その過剰な継続は周りには迷惑でしかない。夜のベッドの中でもジャグリングを続け、とうとう恋人にも家を追い出されてしまう。
あれ?こういう状況や、こんな人物、どこかで見た事が無いだろうか?芝居でも、音楽でも、映画作りでも、好きな事をひたすら続け、自分の人生は棒に振り、家族を悲しませ、周囲に迷惑をかけている人たち。世の中に数多いる、結果を出せずに足掻いているパフォーマーや表現者たち等々。そんな人たちと、この物語の主人公は相通じるのではないだろうか?未だに低予算映画を作り続けている私もその一人。しかし、どんなに周囲に迷惑でも、主人公はジャグリングを続けるしかない。私にとっての映画がそうであるように、ジャグリングこそが彼のレゾンデートル(存在意義)だから。
誰にも理解されなかった主人公のジャグリングも、公園で掃除を長年続けていた孤独な女性の心を、和ませ、動かす。現実は残酷で、多くのパフォーマーや表現者の努力が報われる事も無く、そのまま終わっていくのかも知れない。しかし、それでも、諦めず続けていれば、いつか人の心に触れ、動かすような、何かが起こると思いたい。そんな事を、この作品を見て考えた。宮原監督は、どんな思いでこの作品を撮ったのだろうか?
椿原久平監督・・・『近くて、でも遠い』 伊藤修平
【品評】
親元を離れ、一人暮らしに慣れ日々に追われると親からの連絡が疎ましく思う。そうした気持ちを抱いたことのある親不孝者の私は、過去、同じテーマで企画制作したことがあってこの作品を興味深く観ました。昼夜を問わず、丁寧に撮影を重ね、作品を完成させたことに敬意を称します。そして、誰とも知れない私に審判されること前提で、この映画祭に参加してくれて、ありがとうございます。その覚悟に対し、寸評します(以下、未選出の理由と期待の言葉を送ります)
伊藤監督、これは実体験をもとに制作したのですか?タイトルは、「近くて、でも遠い(息子)」?それとも「近くて、でも遠い(母)」?それとも物理的な距離?撮影場所は、東京の武蔵村山市と品川区のようですね。エンドロール、観終わった後に紹介文を読みました。いずれにしても、もう少しストーリーとキャラクターを掘り下げて欲しかったです。会社設立前後の制作とお察ししますが、その熱を感じられませんでした。ストーリーは、ダメ社員、部屋の整頓が苦手な主人公が、心配性の母親の優しさに絆され、実家に帰巣し、その母は受け入れた。社会の揉まれていても、肉親の母は無償の愛で見守っている。そのことに主人公は気付き、感謝する。が、テーマなのでしょうけれど、肝心の主人公に再生(活気、活力)を感じない。私には、社会に疲弊して逃げ帰り、母が受け入れたという印象しかありません。しかもエンディングが、12分の本編に対して1分30秒は長い。だったら、そのエンディングに、帰巣後の主人公が実家に居を戻し、仕事も順調!なんて点描がスタッフロールとともにあってもよかった気がします。それこそ、貴君の会社スタートと未来も暗示できたかもしれない。誕生日を赤飯で毎年祝う母子なのであろうから、その赤飯の起源も重ねて欲しい(ご存じだったら恐縮ですが、赤飯を食べることは朱色に重ね邪気払いの意味です)。親からの連絡が疎ましく思うのは、一人暮らしを始める動機にもよりますが、体験上、喜怒哀楽を一人謳歌中、心配する親への甘え(照れくささ、気恥ずかしさ)が起因していると思っています。貴君はいかがですか?主人公に対しては、そうした表現や葛藤がもっとあってもよかった気がします。貴君の中には、あったと思っても鑑賞者が感じないと、表現不足です。ともあれ、映画は創った人が何といっても偉いのです。そして、広く披露すればするほど、晒され賛否されるのです。貴君の作品に対して、こういうことを言う奴も居るぐらいに思いとどめてくれたら幸いです。
以上、伊藤修平監督の前途洋洋を祈念して寸評を終わります。
冨永憲治監督・・・『その男ら、職業オネェ!』 カツヲ
【品評】
軽快にスチール撮影現場の準備が進み、登場するのはノリノリのドラッグ・クイーン。ヨシコ・ノリコの二人は今をときめく人気者らしい。撮影後は息もつかせず雑誌のインタビュー、そこへ新人のピー・ポコのコンビが現れ自己紹介。まさにサブカルチャーがメインカルチャーに取って代わった今様を語っている。つかの間の休息、控え室の会話がこの作品の肝となるわけだが・・・どうもこの二人バンドでは食っていけず、派手な女装とアクションで脚光を浴びたようだ。妹の大学卒業まではという枷もあってこのキャラをやめられないドラッグ・キングだった。なるほど、と手放しでは楽しめなかった。私には、ヨシコ・ノリコの魅力がイマイチ感じられなかった。ファッションリーダーなのか、言動がエキサイティングなのか、ステレオタイプのキャラだけではメインカルチャーを凌駕できないのでは?今、活躍している方々は、才気魅力にあふれている。ヨシコ・ノリコを見ていると、一時代前の男が演じる「おねぇ」達を見ている気がしてならないのは私だけだろうか?資料を見ると最近参加が増えた、48時間映画コンペの作品。シナリオ作成から完成までを48時間でこなす監督の力量は評価に値するが、他のコンペに出す場合にはもう一度作品を見直してはどうだろうか。映像制作には手慣れた手腕を感じる監督だけに残念な感じがする。一度仕上げた作品を手直しする困難は十分に分かるが、シーンを撮り足したり、別のエンディングが出現しても良いのではないかなと思う。48時間という縛りはないのだから。
鈴木元監督・・・『君の心が聴けるウサギの耳がほしい。』 市川良也
【品評】
外国人と落ちこぼれ日本人、廃止になった定時制からの移籍組が混在する近未来の高校。その文化祭をめぐるあれこれが17分の中で描かれる。と書いてもこの映画の本当の姿は何も見えてきませんね。作者は近未来にも佃煮状の高校にも興味はない。もっと言えばドラマにも興味がないかもしれない。17分小ネタの連続、笑えるものもあれば引いてしまうネタもある。作者の頭の中は、どうしたらオカしがってくれるか、そこにしかないように見える。そこが潔いと僕は思いました。昨年のピックアップでも書いたのですが、最近のエントリー作品は妙にきれいにまとまったものが多いと思います。感動して下さい、泣いて下さい、これいい話でしょう、という映画が多すぎませんか。そう考えると『君の心が聴けるーー』は、そういう下心が感じられず気持ちよく見ていられる。笑ってくださいという下心ではなく、作り手が楽しんでいるように僕には思えます。そこが自主映画のいいところではないですか。今年もプロ、あるいはセミプロの人たちの作品が多く、技術的にも高いレベルのものがそこそこあります。でも、何だか面白くないなあと僕は感じてしまいます。資料によると、市川良也監督は三重県在住の会社員で50代半ばの監督だそうです。きっと身の回りにたくさんの外国人が働いていて、彼らが映画作りを面白がってくれたのでこの企画が成立したのだと思います。来日1年未満の、日本語もあまり話せない外国人女子高生と日本人の高校生の接近遭遇を描けば、正攻法の青春映画にもなる題材なのに、あえてそちらに行かない市川監督の志向が僕は好きです。とここまで勝手に書いて来ましたが、市川監督がアマチュアであるかどうかは分かりません。生粋のプロフェッショナルかも。たしかに、冒頭のシーンで子供がバニーのチラシを拾ってカメラが回り込む手持ちのショットを見ると、只者ではないかもしれません。もしそうであったなら、それは監督の術中にまんまとハマってしまったのだと笑ってお許しください。

【最終審査を終えて】 
今回は、短編映画コンクールとしては、20回目に当たる、言わば記念の年である。だから、グランプリを出したかった。だが、これまでのグランプリ作品、準グランプリ作品の水準と比較検討して、「干し柿」を準グランプリにとどめた。また、一般審査員賞を獲得した「誰も言わない」について、一言言及しなければならない。審査の手順としては、一般審査員が選んだ21本の作品の中から、特別審査員が入選作品10本を選び、その10本中から、最終審査として、審査委員長である私がグランプリ以下準グランプリ、入賞作品等を選ぶわけである。「誰も言わない」はその10作品に残らなかった。したがって、手順としてはこれが私に届くはずはなかった。だが、一般審査員賞は私にも関心があるところなので、10本の入選作とは別に送ってもらい見た。そして、私はある種の戸惑いを覚えた。私の目には、10作品の入選作に入ってもおかしくない水準の作品であったからだ。ヒロインは、自分の祖母の死をきっかけに、父の両親である祖父と祖母の戦時中の別れ、出征する祖父とそれを見送る祖母の間に、お守り袋を渡すだけが精一杯で言葉が交わされなかった、誰もが自分の本当の思いを語れなかった戦時中を思い、今もクラス仲間のいじめを見つつも誰も云わない状況を切り裂くべく、自殺しかけているクラスメートの所に呼び掛けるために向かうという話だ。おそらく「誰も言わない」を戦時下と今日に繋ぐ発想が余りに短絡的に過ぎると一蹴されたのだろうし、あの時点とこの時点を単純に同一視する情緒的態度こそ、日本人一般の戦争責任に通じるという批判さえ可能だが、この作品が一般審査員賞に選ばれていたことに正直安堵する気持ちがあったことをここに記しておきたい。


全国より127作品の応募がありました
審査委員長 伊藤俊也(映画監督)
特別審査委員 工藤雅典(映画監督)
椿原久平(映画監督)
冨永憲治(映画監督)
鈴木元(映画監督)



実行委員会事務局:〒391-8501 長野県茅野市塚原2-6-1 茅野市役所 観光まちづくり推進課内 TEL.0266-72-2101 FAX.0266-72-5833